ヨガについて思うこと
私にとってヨガの練習から学んだことは、良いも悪いも全部ひっくるめて自分を知ることと、そんな自分を受け入れること、自分のしていることに意識を向けること。
ヨガというものに出会ってから練習を通して、日々の暮らしを通して色々学ぶことがたくさんある。
学びであり、ギフトだなぁと思う。
ヨガを始めた頃はまだ10代で、やっていて気持ち良いなぁ〜とか、楽しいなぁ〜と思ってなんとなくやっていたのだけれど、やればやる程自分の身体が変化していくこと、それに伴って心の状態も変化していくのが不思議だった。
始めて数年はそんな感じでほのぼのと練習をしていたのだけど、とある頃からあんまり変化のない部分(身体であったり、心の癖であったり)がすごく気になりだした。
今現在もそうなのだけど股関節周りがあんまり柔らかい方ではないので、その頃は今よりも可動域が狭くて、練習の度に誰かと比べてしまう癖が出てきたり、無理にやろうとする癖が出てきた。
頑張りすぎる癖。
そんな感じで練習をしていたらまず怪我をするようになった。
そこで気づけば良かったのだけど、怪我が治ってからも昨日出来たから今日も出来るという謎の思考に入っていて、同じ調子でやってまた怪我をするパターン。
まったく自分の身体というものを意識しないでの練習の繰り返し。
アーサナのかたちや身体の柔軟性に囚われていたなぁと思う。
自分というものが分かっていなかった。
懲りもせず何年かそんなサイクルを繰り返して、やっと自分でもそのパターンが嫌になってどうしたらいいのだろう?と思うようになった。
内省すればする程、自分の嫌な部分やこだわりなんかがたくさん出てきてガックリした。
毎度そんな感じで内省しては落ち込んでいたのだけど、ある時にそんな自分もぜーんぶ含めて私なんだなーと思った時があって気持ちがすごくラクになった。
ありのままの自分というものを受け入れること。
今まで嫌な自分を否定しては苦しんでいたんだなと思った。
知らず知らずのうちにジャッジメントする癖。
そんなこともあり自分の中での練習方法がだいぶ変わって、より自分に合った練習をするようになった。
今までは完成の形にこだわり過ぎていたけど、それまでのプロセスを大切にするようになった。
人それぞれ個性があるように、プロセスも違うということ。
プロセスの中で葛藤も出てきたりするけれど、気づきもあったりする。
調子の良い時もあれば調子の悪い時もある。
その自然なサイクルを理解して大事にするようになった。
日常生活でも内省する時間を持つようになった。
そして休むこと、リラックスすることの重要性を知った。
これはヨガニードラを学んでから理解できたことで、ついつい身体を動かすアーサナに意識が向きがちだけど、やっぱりバランスが大事で動いた分回復の時間も必要だということ。
人って自分で意識しているより、ずっと多くの刺激を外側から受けていて神経を使って緊張している状態。
緊張してたり、神経を使ってる時って心配事や不安感があったり、頭の中のお喋りでいっぱいになるので積極的にリラックスする時間をとってバランスをとることが大切だなと思う。
ヨガの練習をしている時、自分の身体や呼吸に意識を向ける練習を続けてきたことで、日常生活でも”今”に意識を向けることが少しずつラクになった。
未だに頭の中のお喋りが活発な日もあったりするけれど、前に比べたらずっと穏やかだし、感情の起伏も緩やかになってきた。
ヨガは”心の科学”と言われるけれど、本当にその通りだなと思うし、ヨガの練習を通して学んでいる途中です。
身体と心が繋がっているということ。
全部が繋がっているということ。
オーロヴィルで通っていたシャラの壁に貼ってあったフライヤーの言葉がとても響いたのでここに載せます。
The study of ASANA is not about mastering posture.
It's about using posture to understand and transform yourself.
Yoga is a transformational practice, not a feel good practice.